こんばんは、ミツヲです。
私が応募した遊佐町地域おこし協力隊のミッションは
自治体へのジオパーク普及でした。
ただ、ジオパークが何なのか知っていたわけではありません。
以前携わっていた自然教育に近い仕事だろう、という程度の認識でした。
生きていくために選んだ新しい仕事でしかなかったので、
それで良かったのだと思います。
しかし、協力隊の任期を終える時には次の仕事を見つけていなければならない、
という危機感だけは強く持っていて、着任後すぐにその準備をはじめました。
左手が不自由になってしまったので、
普通の仕事はもうできないだろうとも思っていました。
ただ、この時は自分で起業しようという気持ちがあったわけでは
ありませんでした。
そうして次の仕事を漠然と探し始め、
ジオパークのガイド養成講座を受けることになりました。
ジオパークが何なのか全く解っていなかったわけですから、
それを知るためにも丁度良い機会だったというわけです。
そして、その養成講座で先程のビッグネームの話に結びつくわけです。
その後、協力隊の仕事は2年で幕を引くことになります。
ジオパークガイドとして報酬をもらいながら協力隊の仕事も続けていくのは、
町の協力隊の制度的には難しかったようで、
プロのジオパークガイドとして活動を本格的に始めたかった私は
協力隊を途中で辞めることを考え始めました。
そうこうしているうちに町との折り合いもつかなくなり、
契約が打ち切られることになりました。
隊員の定住を図ることが制度のねらいであるにもかかわらず、
勤務中はその準備をさせてもらえないという大きな矛盾が
協力隊制度にはあると思っています。